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那覇地方裁判所 昭和59年(ワ)39号 判決 1987年3月27日

原告

濱川正和

原告

平良健

右両名訴訟代理人弁護士

芳澤弘明

被告

合名会社浦城タクシー

右代表者代表社員

手登根勇

右訴訟代理人弁護士

小堀啓介

大城浩

主文

一  被告は、原告濱川正和に対し、金一六万六四七一円及び

内金四万二一〇五円に対する昭和五六年八月九日から

内金二万六八三七円に対する同年一二月二二日から

内金六万三六〇五円に対する昭和五七年八月二八日から

内金四七一円に対する同年一二月二二日から

内金三万三四五三円に対する昭和五八年一二月二四日から

各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告平良健に対し、金一五万五〇九九円及び

内金三万六〇五四円に対する昭和五六年八月九日から

内金四万九三九一円に対する同年一二月二二日から

内金六万九六五四円に対する昭和五七年八月二八日から

各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告濱川正和に対し、金七一万四七七〇円及び

内金一五万〇六〇〇円に対する昭和五六年八月九日から

内金一三万一二〇〇円に対する同年一二月二二日から

内金一四万〇二〇〇円に対する昭和五七年八月二八日から

内金九万七三〇〇円に対する同年一二月二二日から

内金六万八九五〇円に対する昭和五八年八月二一日から

内金一二万六五二〇円に対する同年一二月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告平良健に対し、金六六万〇七二〇円及び

内金一四万六七〇〇円に対する昭和五六年八月九日から

内金一三万七七〇〇円に対する同年一二月二二日から

内金一五万四五〇〇円に対する昭和五七年八月二八日から

内金八万三三〇〇円に対する同年一二月二二日から

内金二万六五七〇円に対する昭和五八年八月二一日から

内金一一万一九五〇円に対する同年一二月二四日から

各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1、2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、昭和三五年三月二八日、合名会社新開タクシーなる商号で設立された一般乗用旅客自動車運送事業等を営む合名会社で、昭和五二年五月一三日、合名会社浦城タクシーに商号を変更したものであり、原告濱川は右商号変更前から、原告平良は同年一〇月一日から、いずれも今日まで被告に雇用されて後記の甲種乗務員としてタクシー乗務員の業務に従事している者である。

2  一時金請求権

(一) 被告は、就業規則五八条において、「会社は事業の成績により別に定める賃金規定により賞与を支給することがある。」と定め、これを受けて、昭和五六年一〇月九日まで実施されていた賃金規程二九条は、「賞与は原則として毎年旧盆及び年末に支給する。但し、会社の業務成績によっては支給しないことがある。賞与の支給額等については、その都度決定する。」と定め、昭和五六年一〇月一〇日以降実施されている賃金規程二九条は、「賞与は会社の営業成績により、各人の営業収入高、勤務成績、事故の有無、技能等を勘案し、原則として年二回支給する。但し、会社の業務成績によっては支給しないことがある。賞与の支給額等については、その都度決定する。賞与の支給対象者は当該賞与支給日当日に在籍している者とする。」と定めている。

(二) 被告のタクシー乗務員には甲種と乙種の二種類があり、乙種乗務員は、完全歩合給制すなわち、昭和五六年四月二一日までは毎月の営業収入の約四五パーセントの賃金及びこれと合わせて年間に支給される賃金と賞与の合計が年間の営業収入の五〇パーセントになるような賞与の支給を受け、同月二二日以降は毎月の営業収入の約五〇パーセントの賃金のみの支給を受けているものであるのに対し、甲種乗務員は、完全歩合給ではなく、毎月の賃金は乙種乗務員よりも少ないが、六か月以上勤務すれば当然に年二回の賞与を支給されるものとされており、甲種乗務員として採用の際には、労働条件として年二回の賞与が支給される旨の説明がなされていた。そして、甲種乗務員に対しては、昭和五二年夏季から五五年年末までは、夏季と年末の二回にわたって、社団法人沖縄県タクシー協会(以下「タクシー協会」という。)作成の参考案(以下「協会案」という。)に基づいて、次の(三)のとおり、賞与が支給されていた。したがって、被告において、甲種乗務員に対するこのような賞与の支給は、労働慣行として確立し、基本的な労働条件の一部として甲種乗務員たる原告らと被告の間の労働契約の内容を形成していたのである。

(三) すなわち、甲種乗務員のうち六か月以上勤務した者に対しては、次の算定方法により支給額を算出し、夏季は旧暦の盆の三、四日前に、年末はクリスマスの三、四日前にそれぞれ支給していた。

(1) 計算方法

標準支給額に、次の(2)ないし(5)により、考課増点算出額を加え、考課減点算出額を除いた額を賞与額とする。昭和五三年から五五年までの標準支給額は、次のとおりであった。

<省略>

(2) 売上考課

夏季については前年一二月から当該年の五月まで、年末については六月から一一月までの各六か月間の月平均営業収入額が基準営業収入額より所定の金額分増減するごとに一点を増減する。その具体的な数字は、次のとおりであった。

<省略>

(3) 勤続考課

勤続一年をこえる毎に一点を加える。

(4) 出勤考課

欠勤は一日につき一点を、無断欠勤は一日につき二点を、遅刻早退は一回につき〇・五点をそれぞれ減ずる。正月、盆の三が日については欠勤一日につき三点を減じ、出勤一日につき三点を加算する。

(5) 事故考課

人身事故は最低三〇点を、物件事故は最低一〇点をそれぞれ減ずる。

(四) ところが、被告は、乙種乗務員に対しては、前記(二)に記載のとおり、昭和五六年四月以降も実質的には従来どおりの賞与を含めた賃金を支払っているのに、原告らが、被告従業員で構成する浦城タクシー労働組合の組合員であることを嫌悪してか、口頭及び文書による催促にもかかわらず、別紙(一)の各受給済額欄記載のとおり、昭和五六年夏季から五七年夏季までは賞与をまったく支給せず、五七年年末以降も本来支給すべき金額より大幅に少ない額しか支給しない。

(五) 昭和五六年から五八年までの間に原告らが受けるべき賞与の額は、右(三)の算定方法のうち昭和五五年のそれと同一の方法にしたがい、原告濱川について別紙(二)(略)記載のとおり、原告平良について別紙(三)(略)記載のとおりそれぞれ算定すべきであるから、その金額は、別紙(一)の各賞与欄記載のとおりであり、その支給日は、それぞれ別紙(一)の各支給日欄記載のとおりである。

3  結論

よって、原告らは、被告に対し、賞与として、既に支払いを受けた別紙(一)の各受給済額欄記載の金額を除いた同各請求額欄記載の各金員の合計(原告濱川につき七一万四七七〇円、原告平良につき六六万〇七二〇円)及びこれに対する別紙(一)の各支給日欄記載の各支給日の翌日からそれぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実のうち、被告のタクシー乗務員には甲種と乙種の二種類があること、乙種乗務員は完全歩合給制の賃金を受け、昭和五六年四月以降毎月の営業収入の約五〇パーセントの賃金のみの支給を受けていること、昭和五二年夏季から五五年年末までは、甲種乗務員に対し、夏季と年末の二回にわたって賞与が支給されていたこと、原告らが甲種乗務員であることは認め、その余は否認する。

被告の就業規則及び賃金規程から明らかなとおり、賞与は被告の成績によって、その都度被告が具体的に支給の有無及びその額を決定するのであって、そのような決定なくして当然に従業員の賞与支払請求権が発生することはないし、被告が具体的な額を決定した場合にそれを超える賞与支払請求権が発生することもない。

(三)  同2(三)の冒頭の事実のうち、甲種乗務員のうち六か月以上勤務した者に対し、一定の標準支給額を定め、これに売上考課、勤続考課、出勤考課及び事故考課を行ったうえ、賞与の支給額を決定していたこと並びに夏季は旧暦の盆の三、四日前に、年末はクリスマスの三、四日前にそれぞれ支給していたことは認め、その余は否認する。

同2(三)の(1)ないし(5)について、昭和五三年から五五年にかけて被告が行ってきた賞与の算定方法は次の(1)ないし(5)のとおりであり、これに反する原告の主張事実は否認する。

(1) 計算方式

計算方式自体は請求原因2(三)(1)と同じであるが、標準支給額は次のとおりであった。

<省略>

(2) 売上考課

夏季については前年一二月から当該年の五月まで、年末については六月から一一月までの各六か月間の月平均営業収入額が基準営業収入額より所定の金額分増減するごとに三点を増減する。その具体的な数字は次のとおりであった。

<省略>

(3) 勤続考課

勤続一年をこえる毎に一点を加える。

(4) 出勤考課

欠勤は一日につき一点を、無断欠勤は一日につき二点を減ずる。遅刻、早退、正月又は盆の三が日の出欠勤は、考課の対象とはなっていない。

(5) 事故考課

ケースバイケースにより、その都度減点数を決定する。

(四)  同2(四)の事実のうち、被告が、口頭及び文書による催促にもかかわらず、別紙(一)の各受給済額欄記載のとおりの支給状況であること(但し、原告濱川の昭和五七年年末賞与額は七万二六〇〇円である。)は認め、その余は否認する。

(五)  同2(五)の事実は否認する。

3  同3の主張は争う。

三  被告の主張

原告らは遅くとも昭和五五年の末ころから、勤務時間中に労働組合結成のための集会を頻繁に開き、営業収入が下降気味となったが、正式に組合が結成された昭和五六年二月五日から六月ころまでは、頻繁に勤務時間内に長時間の団体交渉が行われたため、営業収入は、前年同月に比べ約二〇〇ないし三〇〇万円、一割五分ないし二割ほど減少した。更に組合は、同年六月六日の二四時間ストライキを嚆矢として、同年七月三日から二三日まで全面ストライキを行い、しかもこの間被告の車両の出入口を封鎖し全乗務員の約半数にあたる非組合員の就労をも妨害したため、被告のタクシーは全車ストップし、同月の営業収入は前年同月の約一三三五万円からわずか三八一万円に激減した。その後も、組合は、同年八月一〇日から翌九月二〇日まで、意図的に客の少ない地域を流して運行する四二日間のサボタージュを行い、あるいは、それまでの激しい争議の後遺症で依然営業収入の低迷が続き、昭和五七年六月ころまでは、昭和五五年の水準に比べ月額にして約一〇〇万円ないし二五〇万円程度の減少があった。その結果、昭和五六年度(昭和五六年四月から五七年三月まで)決算は昭和五五年度に比して三二四五万〇六六〇円の営業収入の減少となり、賞与を支払える状態ではなくなった。したがって、被告は、やむなく昭和五六年夏季から五七年夏季までの賞与の支給を断念したのである。その後、昭和五七年年末からは若干営業収入が回復し支払能力も出てきたので、以後支払能力に応じた賞与の支給を行なっている。

四  被告の主張に対する認否、反論

1  組合が、昭和五六年六月六日の二四時間ストライキを嚆矢として、同年七月三日から二三日まで全面ストライキを行ったことは認め、被告主張のように営業収入が減少したことは知らず、その余の事実は否認する。

2  原告らの労働組合結成のための集会及び被告との団体交渉は、すべて休憩時間を利用して行なったものであり、ストライキの際も非組合員が就労しようとするのを平和的に説得してストライキに協力するよう要請したに過ぎず、原告らは車両が出入りする幅員は開放しており完全封鎖をしたのではない。また、昭和五六年八月一八日から九月二〇日にかけてはサボタージュではなく、道路交通法を遵守して安全運転をしたまでのことである。仮に被告の営業収入が減少したとしても、その原因は被告が自ら発した昭和五六年四月二二日から昭和五七年九月三〇日までにわたる時間外労働禁止の業務命令にあるのであって、原告らの加入する組合に責任があるのではない。

3  被告は、乙種乗務員に対しては、請求原因2(四)に記載のとおり従来どおりの賃金を支払い、また、車両の台替、コンピューターの設置等の設備投資を行っているのであるから、被告の財務状況はむしろ良好であった。被告は、非組合員である乙種乗務員を優遇し、組合活動家である原告らを不当に差別しているのである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、原告らの賞与請求権の存否について検討する。

1  請求原因2(一)の事実、同2(二)の事実のうち、被告のタクシー乗務員には甲種と乙種の二種類があり、乙種乗務員は完全歩合給制の賃金を受け、昭和五六年四月以降毎月の営業収入の約五〇パーセントの賃金のみの支給を受けていること、昭和五二年夏季から五五年年末までは甲種乗務員に対し夏季と年末の二回にわたって賞与が支給されていたこと、原告らが甲種乗務員であること、同2(三)の冒頭の事実のうち、甲種乗務員のうち六か月以上勤務した者に対し一定の標準支給額を定め、これに売上考課、勤続考課、出勤考課及び事故考課を行ったうえ賞与の支給額を決定し、夏季は旧暦の盆の三、四日前に、年末はクリスマスの三、四日前にそれぞれ支給していたこと、そして、同2(三)(1)の計算方式については、昭和五三年の年末及び同五四年の夏季、年末の各標準支給額を除き、(2)の売上考課については、所定の金額分増減するごとの点数並びに昭和五三年の所定の金額及び同五四年の所定の金額、一点の金額を除き、(3)の勤続考課については、すべて、(4)の出勤考課については、遅刻早退、正月又は盆の三が日を考課の対象としている点を除き、原告らの主張のとおりであること、並びに、同2(四)の事実のうち、被告が、口頭及び文書による催促にもかかわらず、別紙(一)の各受給済額欄記載のとおりの支給状況である(但し、昭和五七年年末の原告濱川の賞与額を除く。)ことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実に加え、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、昭和五三年から五五年までは、標準支給額を五三年夏季一二万六〇〇〇円、年末一五万五〇〇〇円、五四年夏季一三万一〇〇〇円、年末一六万円、五五年夏季一三万五〇〇〇円、年末一六万五〇〇〇円と定め、夏季については前年一二月から当該年の五月までの、年末については六月から一一月までの各人の営業収入額に応じて増額ないし減額し(売上考課)、更に勤続考課、出勤考課、事故考課などの査定を行った上で甲種乗務員に対する支給額を決定していたこと、右方式により、例えば、原告濱川については、昭和五四年夏季一七万七八〇〇円、年末一七万六九〇〇円、五五年夏季一七万〇一〇〇円の、原告平良については、同年夏季二五万五九〇〇円、年末二四万八二〇〇円の賞与がそれぞれ支給されていたこと、以上のとおり認めることができ、これに反する証拠はない。

2  右のような賞与支給の実態等を前提として検討するに、本件において、就業規則及び賃金規程は甲種乗務員に対し原則として年二回の賞与を支給すべきものと定めているけれども、その支給金額あるいは算定方法を具体的に示しておらず、他に原告らと被告の間ないし被告の乗務員らが構成する労働組合と被告の間において、賞与の支給金額あるいはその算定方法について明示の合意をなしたとの事実を認めるべき証拠もない。

なお、原告濱川正和本人尋問の結果中には、原告濱川は昭和五一年二月までは合名会社浦添交通において甲種乗務員として勤務し年二回の賞与を支給されていたが、被告の乗務員として採用される際に被告代表者から賞与の支給についても条件を引き継ぐことを保証された旨の供述があるけれども、右合名会社浦添交通においてどのような内容の賞与支給の合意がなされていたのか明らかでないから、右供述をもって引継ぎの際に賞与の支給額、算定方法が明示されたものと認めることはできず、また、同尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、被告は、昭和五五年三月ころ、運賃改定後の責任額をめぐる原告らとの交渉において、責任額と収益との関係を説明する文書を原告らに示し、その中には「賞与額九・〇%」との記載が含まれていたことが認められるけれども、同尋問の結果によっても、賞与の支給額について右の記載のとおりの合意が被告との間になされたとの事実を認めることはできない。

3  そこで、更に、本件において協会案ないしそれに準ずる基準に基づいて賞与を支給すべき原被告間の黙示の合意ないし労働慣行が成立していたといえるかについて検討する。

(一)  なるほど、原告濱川正和及び被告代表者各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告はタクシー協会に加盟しているが、タクシー協会は、昭和五二年から同五五年当時において毎年、その加盟タクシー会社のために、賞与の夏季、年末の各標準支給額、支給対象者並びに売上考課、出勤考課、事故考課、勤続考課及びその他考課の査定方法を内容とする「乗務員賞与(参考案)」と題する書面(協会案)を作成していたこと、被告が昭和五三年から同五五年にかけて行った賞与の算定は、その標準支給額、査定方法においてほぼ協会案に副ったものであること、昭和五二年から五五年までは、賞与の支給にあたりその都度労使間における交渉を経て支給額について合意しこれに基づいて支給するという手続はとられていなかったことが認められ、これに反する証拠はない。

(二)  しかし、タクシー協会が毎月の賃金を含め加盟タクシー会社の乗務員の労働条件の決定につき被告ら加盟タクシー会社を拘束する指示ないし指導をなし得もしくはなしていたことを窺わしむる何らの証拠もないうえ、成立に争いのない(証拠略)及び右各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、前記協会案にはそれ自体参考案であることが明記されており、被告における賞与の算定はほぼそれに副ってはいるものの、被告は賞与支給の都度、各支給日の約三週間前に社員総会を開いてその時々の事情により右協会案に修正を加えて標準支給額等を決めていたこと、協会案の内容又は被告が昭和五三年から五五年にかけて行った賞与の算定方法は原告ら乗務員には明らかにされていなかったことが認められることによれば、本件においては、前記1ないし右(一)説示の事実から直ちに、原被告間に、労使間の協約もしくは使用者の決定等の支給を具体化する行為を要せずに、協会案ないしこれに準ずる基準に基づいて賞与を支給すべき黙示の合意ないし労働慣行が成立していたものと認めることはできない。

4(一)  ところで、被告のタクシー乗務員に甲種と乙種があり、乙種乗務員は完全歩合給であり、甲種乗務員に対してのみ賃金規程上原則として年二回の賞与が支給されるものとされていることは前記のとおりであるが、前記1の争いのない事実に加え、(証拠略)、原告濱川正和及び被告代表者各本人尋問の各結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認めることができる。

すなわち、甲種乗務員は、基本給、歩合給、精勤手当及び無事故手当を支給されてきたほか、賃金規程上、原則として年二回の賞与及び退職金の支給を受けるものとされていること、乙種乗務員は、昭和五四年一二月から五五年一一月までの一年間では営業収入の約四六パーセントの月額賃金及び約四パーセントの年二回の賞与すなわち営業収入の五〇パーセントを支給されていたこと、昭和五五年一二月から五六年三月までは自己の毎月の営業収入の四八パーセント、同年四月からは五〇パーセントの完全歩合給を月額賃金として支給され、賞与の支給は受けていないこと、他方、甲種乗務員には基本給が支給されるといっても、原則として就業した日数に応じて支給されるもので、昭和五五年三月ころまでは一日三二〇〇円、同年六月ないし五七年九月までは一日三四〇〇円、同年一〇月から五八年一〇月にかけては一日三六〇〇円に過ぎず、しかも歩合給については、一日の営業収入につき責任額(昭和五五年五月から昼勤八〇〇〇円、夜勤九〇〇〇円)が定められていて、これを越えた営業収入についてのみその四〇パーセントの歩合給を得られること、したがって、基本給の制度があるからといって必ずしも営業収入にかかわりなく安定した賃金が得られるわけではないこと、現実には、甲種乗務員である原告らの昭和五五年一二月から同五八年一一月までにおける一か月ごとの営業収入、支給された賃金(修理手当及び有給手当を除き、賞与を含む。)及び原告らが乙種乗務員であったとすれば受けたであろう賃金すなわち営業収入の昭和五六年三月までは四八パーセント、同年四月からは五〇パーセントに当たる賃金は、それぞれ別紙(四)の営業収入欄、支給額欄、乙型賃金欄記載のとおりであること、したがって、原告らは、右期間における各六か月の期間において別紙(四)の各不足額欄記載のとおり、乙種乗務員であったならば受けたであろう賃金よりも少ない額の支給しか受けていないことがあること、そして甲種乗務員といえども月額賃金は、ほぼその月の営業収入の四四ないし四六パーセント程度であること、以上のとおり認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  右の事実によれば、被告のタクシー乗務員は、甲種及び乙種のいずれかの賃金体系を選択することができ、甲種乗務員に前記方法により算定支給される月額賃金は、乙種乗務員に支給される完全歩合給に較べて少ないのが常態であり、甲種乗務員に対してはその分賞与によって補填されるしくみになっていたものと認め得るところ、被告の前記就業規則及び賃金規程の定めに鑑みると、右賞与の支給については、被告は会社の営業成績や各人の勤務成績等を加味して弾力的な運用を行うことが可能であるが、本件においては右のように二種類の賃金体系が存在し、賞与と言へども労働の対価としての実質を有することを考慮すると、右の裁量にも一定の制約があり、被告の賞与の支給ないし不支給の決定が合理性を欠く場合には、他に特段の立証がない限り、乙種乗務員と甲種乗務員との収入の差額をもって本来支払われるべき賞与額と推認するのが相当であり、かつ、その請求権が本来支払われるべき時期において具体化するものと解すべきである。

ところで、被告は、昭和五五年までは甲種乗務員に対しほぼ協会案に副う方法で算定した賞与を支給していたにもかかわらず、昭和五六年夏季以降は賞与を支給せずもしくは右の方法によらずに支給した理由として、「三被告の主張」欄に記載のとおり主張するが、成立に争いのない(証拠略)並びに被告代表者本人尋問の結果を総合すると、被告の営業収入高の減少は昭和五六年度及びその後数か月間の一時的な現象にすぎないことが認められるうえ、乙種乗務員に対しては前記のように昭和五六年四月から歩合給の引上げが行われていることを考慮すると、仮に被告の右主張事実がそのとおり認められるとしても、右昭和五六年夏季以降の被告の賞与に関する前記取扱は、甲種乗務員の方が乙種乗務員に較べ収入総額において低額となる部分については、合理性を欠くものと言わざるを得ない。

(三)  そして、右の賞与の算定に当たっては、昭和五三年から同五五年にかけて原被告間に行われてきた賞与算定に関する売上考課の方法に照らせば、夏季賞与に関しては前年の一二月から当該年の五月まで、年末賞与に関しては六月から一一月までの各六か月間の営業収入及びこの間に得た月額賃金を基礎とすべきであり、かつ、実際に支給された賞与額が右の賞与を上回るとしても、それは、被告の支給行為によって具体化した賞与請求権に基づく支給とみるべきであるから、これを他の期の賞与に充当することはできないというべきである。

(四)  また、(証拠略)及び原告濱川正和本人尋問の結果によれば、甲種乗務員には退職金規程にしたがって退職金が支払われるが、乙種乗務員には同規程は適用しないものとされていることが認められるけれども、退職金の支給ないし勤続年数に応じた退職金の加算は、乗務員の安定的な確保及び乗務員教育の便宜等使用者の利益にも資するとみることができ、これをもって右(二)において認定した賞与請求権の存在を妨げるものということはできない。

(五)  したがって、原告らは、被告に対し、それぞれ、別紙(四)の各不足額欄記載の金員を賞与として請求しうるものというべきであるが、その支給日については、昭和五六年一〇月までの賃金規程上旧盆及び年末に支給するものとされており、昭和五二年から五五年まで夏季は旧暦の盆の三、四日前に、年末はクリスマスの三、四日前にそれぞれ支給していたことは前記のとおり当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、当該年における各支給日は、別紙(一)の支給日欄記載のとおりと認めるのが相当である。

三  以上のとおりであるから、被告に対し、原告濱川の本訴請求は、賞与として別紙(四)の不足額欄記載の金員の合計一六万六四七一円及び内金四万二一〇五円に対する昭和五六年八月九日から、内金二万六八三七円に対する同年一二月二二日から、内金六万三六〇五円に対する昭和五七年八月二八日から、内金四七一円に対する同年一二月二二日から、内金三万三四五三円に対する昭和五八年一二月二四日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、並びに、原告平良の本訴請求は、賞与として一五万五〇九九円及び内金三万六〇五四円に対する昭和五六年八月九日から、内金四万九三九一円に対する同年一二月二二日から、内金六万九六五四円に対する昭和五七年八月二八日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由があるから、これを認容し、原告らのその余の請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河合治夫 裁判官 水上敏 裁判官 後藤博)

別紙(一) 原告濱川正和

<省略>

原告平良健

<省略>

別紙(四) 原告濱川正和

<省略>

原告平良健

<省略>

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